初めての記憶は2歳の夏の万博


こんばんは! 中野琴子です。


あなたの初めての記憶は、何歳のときの、どんなことでしたか? 人生の一番古い記憶。


私の人生初めての記憶は2歳の夏の万博です。父と二人で行った、万博。


ちょっと自信がなかったので調べてみました。

>>> 日本万国博覧会

1970年3月15日(日曜日)から9月13日(日曜日)までの開催だったそうです。

ヒトの記憶って3歳以降というのが一般的です。

私は秋生まれなので2歳9〜10ヶ月くらいに万博に行ったのですが、よほどインパクトが強かったのでしょうね。いくつかのパビリオンの内部が電飾でキラキラしていたことや、父と観覧車に乗ったことを色付きで覚えているんです。

母は生後9ヶ月くらいの妹の子守をしていたので、ワンオペで父が連れて行ってくれたわけです。20センチくらいの太陽の塔の置物をお土産に買って帰った記憶もあります。


当時、私の実家は大阪市のちょっと京都寄り、東淀川区というところにありました。

そこから千里の万博会場まで行くには、阪急京都線で西中島南方まで出て、御堂筋線に乗り換えて千里まで出るか、阪急京都線から千里線に淡路で乗り換えるかだったと思います。

どちらにしても家から万博会場まで片道2時間はかかったはず。


魔の2歳児を連れて、よく一人で出かけたなぁ、我が父ながら。

日曜日の阪急京都線は当時からよく混んでいました。そんな中を往復4時間かけて連れて行ってくれた。


私の記憶は飛び飛びなんだけれど、父が撮ってくれた写真が残っています。

観覧車の前のベンチで私がアイスクリームを食べている写真、観覧車で笑っている写真。



私が自分でオンラインコースを出すだけでなく、いろんな方にお仕事の一部をオンラインコース化することをおすすめしている理由の一つは、ご家族との時間を持ってほしいからです。


私の実家は平穏なときばかりではありませんでした。父が脱サラして事業に失敗したために家賃が払えないような時期がありました。そんなときには家の中で父と母の怒鳴り声が飛び交ったり、投げられた食器がガシャーン!と割れる音がしたり、家にいるのが苦しかった。家にいたくなかった。

人生ってそういう暗黒の時期がどこかで訪れますよね。ずーっと平穏で順風満帆なご家庭って珍しいと思います。


私の実家でもいろんなことがあった。

でも、たった一日の幸福な記憶がその後の人生を支えてくれています。


「ほんのたった一日のことじゃない?たった一日遊びに連れて行くだけでしょう?」とあなたは思うかもしれません。

でも子どもは後で理解します。大人になってからわかるのです。当時の父がどんなに忙しい人だったか。自分の休日すら取れないような忙しさの中で、子どもを遊びに連れて行くのがどれだけ大変なことだったかを。


先月のメルマガの追伸に書いた通り、私が幼い頃、父は「24時間働けます」というサラリーマンでした。

朝は私たちが学校に行くために起きる時間にはもう出勤していて、夜は私たちが寝てから帰宅。土曜日も仕事。営業職だったので日曜日も接待で家をあけていました。父の顔を見るのは週に一度あるかないか。


私は自分が働き始めてからやっと、休日の貴重さがわかりました。

んもう布団から出たくない。一日中休みたい。連休だったら一日休んで、一日遊びに行ける。でも一日しか休めないなら休みたい!


え、待って、こんな中で父は遊びに連れて行ってくれていたんだ、、、?


このたった一日の記憶が、私は愛されていた、私は両親に大切にされていたという確信になっています。


だからこそ、お仕事の一部をオンラインコース化して、ご家族との時間を持ってほしい。

お子さんとの時間、パートナーの方との時間を作って、たった一日なんか無意味だと思わずに思い出を作ってほしい。たった一日でもいいんです。


そう思って「オンラインコースを作りませんか、あなたのお仕事の一部でもオンライン化しませんか、自動化しませんか」とおすすめしています。


この夏、あなたは大切な人との時間を作れましたか?

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